2015年11月28日土曜日

第1回 Van Burkleo氏と音楽

第1回 Van Burkleo氏と音楽

 


まず簡単な自己紹介をお願いします。

2013年2月、「UREIが買えないなら自分でミキサー作っちゃえ、しかも日本の住宅事情にあったちっこいやつ。しかもクラブ遊びが金になるいいチャンス」というどうしようも無い理由で始めたのがCDS(compact disco soundsystem)です。少なくとも世の中に 出ているハンドメイドDJプロダクツの中で「音質は最高、対価は安く」を自負しています。何も足さない、何も引かない。伝えるのは真実の音のみ。 

■Q.1今までどの様な音楽を聞いてきましたか?


A.1まず小学生の時に兄からもらった擦り切れるまで聞いたゴーストバスターズのサントラ
Ray Parker Jrです。
光ゲンジ、堀ちえみ 基本的には兄弟の影響で、たのきんトリオ、シブがき隊、
そういえばマッチ主演 映画スニーカーブルース見に行きました。
マッチが履いてたNIKEの銀色のコルテッツ今思い出してもレア。笑
最後の場面は今でも忘れられない。
特に小学生の頃は何か意識して音楽を聞いてはいなかったです。

中学に入りバンドブームが到来してまずJUN SKY WALKER(S)の全部このままでを
はじめてカセットテープで買いました。
1988年~89年の変わり目で自宅のラジカセが新調されたんですが、
昭和天皇の崩御があり、世の中が自粛ムードにあり爆音で聞きたい音楽が
聞けなかったという時代背景も懐かしいです。
青春期真っただ中という事も有り自粛ムードの解放と共に私も解放されました。
井上陽水さんのセフィーロのCMとかも印象的で覚えてます。
この頃から今も変わらないスタイルが好きな物を自分に消化して聞く
これは自分にとって不変ですね。

CDという新しいメディアの登場は斬新でラジカセも新調しました。
PANASONICのDT7。ダブルデッキ、バイアンプ、3WAYのラジカセ、
バブリーなつくりですよね。
記念すべき初めて買ったCDはタイマーズ 忌野清志郎さんです。
偽善者、デイ・ドリーム・ビリーバー。直後の公共の電波事件。笑 
JITTERIN'JINN、REBECCA、BARBEE BOYSのバンドブームにおけるビートロック
ですね、あとBLANKEY JET CITYも外せない。

数多くいたバンドの中でも特にはまったのがBUCK-TICK。はじめて行ったLIVEは
もちろんBUCK-TICK、島根県民会館行きました。
世の中はBOOWYが1番人気でしたけど、反骨精神でしたね。
そんな中、姉からBASSをもらってBUCK-TICKのコピーしてました。ピックで笑

当時、X―JAPANになる前のXも忘れられない、
元気が出るテレビのヘビメタのコーナーやばかった。
今振り返っても伝説。そこからは聞いてるアーティストの影響受けまくりでした。
それ以降は、色々なルーツ探り BUCK-TICKの今井さんのレフティーの影響で
レフティー繋がりでJimi Hendrix を聞き始めました。
兄はミーハーなのでPOPSばかり聞いてましたけど、姉が大阪に出ていた影響で
都会の情報が入りはじめました。当時はインターネットなんてないから。
高2(1991)から突然、洋楽にはまりました。当時は洋楽=ヘビメタ=ハードロックです。
Metallica、GUNS N' ROSES、SLAYER、Def Leppard、Mötley Crüe
あげればきりない。

高3迄はそのあたりばかり聞いていてその後スラッシュメタルからデスメタルに移行しました。

BURRN!の編集部の方々地方FMのみで放送されているこれまた伝説のFMラジオ 
Heavy Metal Syndicate(ヘビーメタルシンディケート)を聞いてました。
それは主要都市ではやってなくて・・・・・
当時雑誌の後半ページにCDレビューがあって100点満点で採点するんですけど
ある意味恐ろしい企画ですよ、Aerosmith : Get a Grip 95点のEat the Richの
終わりのゲップがー5点の要因であるとか印象的過ぎて思い出しても笑えますね。
高校の3年間は雑誌買い続けたし。記憶の中で最低点5点ていうのもありました。
何で5点だかは全てが酷評過ぎて忘れましたが。

当時の雑誌の影響力は絶大ですよね、今みたいにネットとか無い社会でこの得点の影響力は
どう考えてもデカいですよ。
その辺を考えると自分の中で1番熱かったのはメタルかなぁー。

ここから音楽の旅が始まるんですよ。
1993年に専門学校の為に上京、期日はやめてもらったんです本当は3月10日だったんです
が、3日はやめたんです。UKのCARCASSのライブが川崎クラブチッタであったんで。
1日2日目即日SOLDOUTの追加公演。
デスメタルのLIVEが即日SOULDOUTとかどういう時代だよ。
当時、チッタの楽屋から出てきたメンバーと写真とるのが好きでCARCASSは
全員とその次行ったTHE ALMIGHTYのライブも楽屋前で張って2人と写真撮りました。
20歳迄に3回クラブチッタ行ったんですが、最後に行った、
デスメタルのデスって言葉を作ったフロリダのDEATHというグループの待望の初来日、
CARCASSの時は整理番号が600番とか後半でしたがDETHは速攻買ったので99番
これはやばい、チッタは入場の時に整理番号の入場案内のアナウンス流れるんですけど、
1番~10番 10番~その次の~みたいな。
蓋を開けてみたらまさか1000人位収容出来るチッタに100人ちょい。
暴れ放題でしたよ。
肝心のプレーは最高でしたね。
スラッシュメタルの流れを汲んでるのでBPM早い訳ですよ、
それなのにリードボーカルしながら、ギターソロしてましたよ Chuck Schuldiner。
プレーはなめらかでバカテク、エフェクターは1個とか少ないんですよ。
それでクリーントーンとかならして。笑 
当時の来日メンバーとも全員写真とりましたね。 

上京して間もなく、16歳から苦節4年初バンド結成 【ネクロシス】
サイドギター、バッキング担当、マーシャルあのガバナーとアンプはPVかブギー
その頃からハイゲインアンプが好きでしたね。ESPギタークラフト科というのが
味噌でそのころから自作魂は持ってエレキギター作ってました。

この性格なんでバンドもこだわりもってやってました。
時間の無駄が嫌で時間にルーズなメンバーとの対立も頻繁にありました。
日大の学生とやっていて軽音部のスタジオでセッションしてました。
初日、凄いドラマーがいてこのドラムの人と同じバンドが組めるのかと思ったんですが
実はボーカルだったんですよね。
実際のドラムの方がいまいちで・・・・まぁーそういう経緯もあって組んだ最初から
違和感があったんです。
結局1年位で解散ロックもメタルもやめようと思って解散しましたね。

当時考え方が極端だったので、どうしたら音楽一人で出来るか考えて
そうだ打ち込みだと突然思いついて打ち込み(クラブミュージック)と出会いました。
YAMAHA QY300との出会いからTECHNOに卒倒ですね。
聞き始めたのはSYSTEM7、CJ Bolland 、Luke Slater、電気GROOVE、KEN ISHI
Techno Sportのコンピも買いました。
JEFF MILLSよりMijk Van Dijk 、この数年後には Chemical Brothers、
FATBOYSLIM色々と同時 平行して聞きましたね。
サンプリングも知ってブラックミュージックにも興味が出ましが
サンプリングを知ってブラックミュージックを知るというのも非常に
有効な手段だと思います。

この辺りからはクラブミュージックどっぷりでDJはじめて、クラブの住人になりました。
はじめてDJでプレーしたのは忘れもしない、西麻布のビビアン22歳の時です。
JBLのSRXシリーズの2段スタックのあのシリーズ、アンプはAMCRON。
フロアの真ん中に噴水。100名規模の場所なのにVIPルームもありました。
その時に出会ったコンコルドのDJを未だに使ってます。
当時から変わらずDJ針はずっとコンコルド。
DJはMIXのスタイルなので18年のDJ歴の中でDJ針3回しか変えてないです。
DJ初めた当初、一緒に曲を作っていた相方がいて、
ブレークビーツ全盛でBIGBEATを相方が作るので僕はフィルターディスコに流れて
そこからHOUSEの箱に遊びに行きだし、HOUSE、DISCOミュージックにはまり始めました
HOUSEばかり聞いてましたがリリース量も半端なくて全く飽きませんでしたね。

そんな中、DEEP FUNKムーブメント、レア7インチブームが到来したんですよ、
2002年~2003年。聞いたこともないようなアーティストがサンプリングソースだろ、とか思う
BREAK使いながらでもまぁー存在感の有る曲作るんですよ。
これは欲しいと思うと1枚1万円とか買えないですよね。
そういえば、ロンドン在住のノーザン・ソウルDJ、Keb Darge(UKのコレクター)の登場や
DJ SHADOW(ジョシュデービス)がコレクターでサンプリングが全部レアファンクだったり、CUTCHEMITもKENNY DOPEもJohn Hillyardの所に行ってDIGるとか逸話だし
忘れられないストーリです。
ドキュメンタリー映画 SCRATCHにDJ SHADOWやCUT CHEMITのDIGストーリは
収められてますね。

懐かしい話ですけどユニオンのセールが長蛇の列みんながレコードに飛びついてました。
1番乗りなんか無理な位な行列で凄かったです。
当時の人じゃないとわからない経験ですけどまさに7インチ狂騒曲、
そのムーブメントに結局8年いました。
その中でも自分が経験した中で一番印象的だったマスタードーナツという
10年続いた伝説の7incのみのパーティーがあったんです。
※2003年7月、渋谷 Club NO STYLEからスタート。
いま思い返しても素晴らしいパーティーで今思い返すとコレクターズパーティーでしたが
その中でも今尚活動している黒田大介さんは群を抜いて秀逸です。
マスタードーナツは残念ながら、2012年位にパーティ自体は自然に消滅してしまいましたが、
その前に僕は抜けてしまいました。

そこからはもうオールジャンルの今のスタイル、自称Theo Parrishかぶれです。


■Q2.2015年 現在はどんな音楽を聞いていますか?



A2. 2015年 BEST BUYだと 悪の華 25周年セット BUCK-TICK 
Theo ParrishのAmerican Intelligence
CARRIE LUCAS TIKTOKのリエディットBY Sadar Bahar 限定500枚 3枚買いました。

■Q3.J-POPからの分岐点はどこですか?


A3. 姉が大阪に出ていた影響で都会の情報が入りはじめてBUCK-TICKの今井さんの
レフィティーみてジミヘンにはまったところです。

■Q4.Liveまたはクラブに音楽を聴きに行きますか?

A4.行きたいと思うパーティーはいつでも行きます。

■Q5.今後日本の音楽はどのようになるとおもいますか?

A5.音楽が好きだから音楽の為という事だけにフォーカスすると失敗すると思うんですよ。
ファッションや流行の中の1部であるべきが音楽で、生活の自然の中に追及していける様な
環境が築ければ自然体であるし自然の流れの中で追及してほしいしそうあってほしいです。
音楽が主では無く、文化が主で有りその中に音楽が有るというイメージです。
少し話それますが、体験談的に、自分は気合い入れて音楽で飯を食う音楽をやってる
かっこいいだろうとやってみたけど成功はできなかったけど、
しかし、一歩引いたところから見た時に今の自分がありCDSを運営し、
クラブミュージックに携われている、それが面白いです。
男性視点ですが、僕は女の子に持てたいからという理由で音楽やるのも
かっこいい事だと思いますね。笑 
狭い視点でどんどん世界を小さくする理由もないので、
どんどん大きな視野で音楽盛り上げてほしいです。

■Q6定額制が当たり前になりつつありますが、どういうきっかけで音楽を購入したいと思いますか?

A6. 音楽の可能性は無限大。
音楽を音楽として聞くのでは無く、音楽から発生するコミュニティー、関係性が
ダウンロード出来ると思いますか?言葉が通じなくても身分なんか関係なく通じ合え、
飛び越えられるツールが音楽。音楽を追及したその先にどんな出会いがあるか楽しみだし、
想像もつかない可能性は無限大ですよ。
だから音楽を買わないという考えがないですね、
ダウンロードしたいのがあればダウンロードするし、
定額で聞きたければ聞きますよ。それ以前に聞きたい音楽、山ほどあります。


最後にクラブ活動(クラブに行くこと)は人生最大の経験だよ。国籍、人種、年齢、性別問わず コミュニケーションが簡単に取れるのはクラブです。こんな身近な楽しい場所に行かない手は無いでしょ?DJの咥えたばこ、機材の上のドリンク DJブース越しの乾杯とか機材へのリスペクトも忘れずに!!!!


今回のVan Burkleo氏のホームページ、FACEBOOKプロダクトも是非ご覧ください。CDS(compact disco soundsystem)

http://www.compact-disco-soundsystem.com/

FaceBook CDS

https://www.facebook.com/CompactDiscoSoundsystem/

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